ケンジです。
前回、前々回と書いた記事ではたくさんのご反響をいただき、ありがとうございました。
→川良健二の過去 〜京都大学を中退して医学部を目指したわけ〜
さて、今回少し時は遡りますが、
ぼくが今年の3月、ネパールのカトマンズに滞在している時に経験した、ちょっといい話をここに紹介させていただきます。
その日、ぼくはゲストハウスで知り合った方たち数人で夜ご飯に出ていました。
そこいらで評判のレストランというのを探し求めて、道ゆく人に場所を聞きながら歩いていたところ、夜はまだそんなに老けていなかったと思うのですが、
明らかに15,6歳ほどの少年たち3人組にでくわしたのです。
彼らを中心に人だかりが出来ていました。
そして彼らの中の1人、1番気弱そうな少年は
立てないほどに泥酔し、胃の中のものを辺りに吐き散らしたまま地面に倒れこんでいました。
もしかしたら、他の意地悪な2人が悪乗りをして酒を飲ませたのかもしれません。
まあそれはぼくたち部外者が、今とやかく言えることではないので置いておきましたが、
とにかく彼を助けてやらなければ
と、ぼくたち日本人の考えはその時一致していたと思います。
ここで少しだけ、
ぼくも医学を学ぶものの端くれとして、
医療のお話をさせていただきます。
実は、お酒の飲み過ぎによる「アルコール中毒」、それによる死亡事故というのは
アルコールが直接の原因ではなくて
昏睡状態にある時、吐瀉物が気道に詰まってしまうために起きる
窒息死
これが多いということです。
わかりやすく、汚い言葉を用いれば、
「寝ゲロが喉に詰まって窒息」
というのが起きてしまうと言えます。
ですから、話は戻りますが
ぼくが彼を見た時にまず思ったのがそのことでした。
そして他の少年2人は、彼が酔いつぶれたことに困惑・迷惑といった表情をしており、看病をする気がありませんでしたから
他の日本人の仲間たちと手伝いながら、また少年2人に厳しく指示をしながら、なんとか安全な体位、つまり
嘔吐しても窒息の危険が低いように、仰向けでなく横向きの状態をキープさせました。
実際にはこの場でその体位を取らせる緊急性はあまり無かったと考えられましたが、
これはある種の教育でした。
家に着いた時にも、酔いつぶれた彼がその体位を取れるよう、
他の2人がそのように看病出来るよう、
ぼくはその場で教えたつもりでした。
でも、やはり他の少年たちは全くやる気がなく、隙あらば自分の家に帰りたいといった状況です。
彼に家族がいれば安心して家に返せると思ったので、そう周りの人に聞きましたが、はっきりとした回答が得られなかったので
とにかくタクシー3人で彼の家に帰り、具合が良くなるまで目を離さないようにうるさく指示しました。
すると今まで全くやる気のなかった少年2人が、急に必死な顔つきになりました。
なぜでしょうか。
ここからは、ぼくの憶測も入った話になりますのでご承知下さい。
彼らが急に必死な顔つきになった理由
それはおそらく
「ぼくたちからお金をもらえると思ったから」
です。
タクシーに乗ることを指示した途端、彼らは必死な顔つきで
「お金がないんだ。だからタクシーに乗れないんだ」
と、今までやる気のなかった顔つきをガラッと変えて、そう訴えてきました。
でも酔いつぶれた彼が心配だったので、ぼくは彼らにタクシー代をあげることにしました。
すると、その後は何を指示しても
「タクシーに乗る金を先にくれ」
と言って聞きません。
もともと、看病する気のない彼らに対してはイライラが募っていましたが、ここでぼくも我慢の限界がきて
「お前らが世話しないと、友達が死ぬかもしれないんだぞ!!」
と強く怒鳴ってしまいました。
そして、きっとお金のことしか頭にない彼らを落ち着かせ、タクシーをつかまえました。
この時になると、人だかりは15人くらいのものになっていたと思います。
周りのネパール人がタクシーの運転手に事情を説明したり、交渉を始めてくれたので彼らに任せることにしました。
少年の家はここから数キロもなく、近いことは聞いていたのでタクシー代の予想はだいたいついていました。
しかし、この直後
ぼくは怒りと悲しみを同時に感じることになります。
タクシー運転手と交渉をしていた男性が、
明らかに高い料金をぼくに請求してきたのです。
その男性がそう言っているのか、運転手がそう言っているのかはわかりませんが、
この混乱に乗じて、誰かが小銭を稼ごうとしているのが明らかでした。
彼が酔いつぶれて大変な状況で、
しかもタクシーに乗るのは、日本人のぼくたちではなく、
ネパール人の彼らです。
いくら日本人のぼくがお金を出すといっても、
地元料金の最安値で乗せるのが道理でしょう。
そんな中で、明らかに高額な請求をされたこと、
また、酔いつぶれた彼ではなく、お金にしか興味のなかった少年たちに
怒りと悲しみの混じった複雑な感情を抱いてしまいました。
決して、出すお金をケチったわけではなく、
そういった道理外れなことをされ腹が立ったので、何度も何度も意見を主張しますが、相手の主張も変わりません。
なので、諦めました。
そして、徒労感だけが体に残りました。
きっと心の何処かで、見返りを求めていたのです。
「ありがとう」
「助かったよ、感謝している」
そんな言葉を期待していたのでしょう。
でもかれらの興味はきっとお金に向いていました。
やるせの無い気持ちでほとんど泣きそうになりながらぼくたち4人は歩き出したのです。
しかし、数十メートルほど歩いたところで、ぼくの肩を叩く人がいました。
振り返ると、
1人の少女がぼくの前でうつむいていました。
そして、
なんと、
躊躇いがちな表情で
「Thank you」
と言ってくれたのです。
ぼくらなんかには、周囲の人は誰も興味を抱かなかった状況で、
きっと彼女は感謝の気持ちを忘れずに、
しかも1人だけ、それを伝える勇気を持っていたのでしょう。
ぼくたち4人は、
その瞬間に救われました。
その
「Thank you」
で全てが報われたような気がしました。
きっと「人を助ける」という行為に見返りを求めてはいけないのかもしれません。
でも、
「ありがとう」
と言われたら「助けた甲斐があるな」と思うし、
「ありがとう」が一言もなければ
損した気分になるのは、皆さん一緒ではないでしょうか?
ともかく、今回の一件で
最終的にぼくらは、彼女に救われました。
アジアで最も豊かな部類に入る国、日本
そして最も貧しい部類に入る国、ネパール
日本人のぼくらが、彼らに施すのはある種当たり前なのかもしれません。
でも、そんな中でも他の人と違い、勇気を持っていたのが彼女で、
ともかく、以前の記事で書いていた
「人の役に立つ喜び」
というのを、肌で感じることの出来た夜でした。
おしまい
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